はちよりうえ

見たアニメについて感想などをメモる。※ネタばれあり

ブギーポップは笑わない 第16話 「オーバードライブ 歪曲王 3」 感想

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ブギーポップは笑わない Amazonプライム・ビデオ 新たな真実。ブギーポップが出てくる際に、藤花が持っていた荷物も一緒に持ち歩くことが判明。あのマントの中にバッグが入っていると思うと、ブギーポップも人間っぽいな。 今週の内容 人形だらけの部屋から、ブギーポップと共に脱出した新刻敬。しかしハッチを開けて出てきた先は、ムーンテンプルのある階層だった。みると公開のために入場していた客たちが倒れており、その光景に、これが世界の危機なのかとブギーポップに問いかける新刻。しかしブギーポップはどのような危機かわからず、さらに歪曲王を倒せば解決するようなものでもないと言い切るブギーポップ。 歪曲王の目的は、人からある種の反応を引き出すことであり、破壊性を持たないため、世界の危機はまだ起きていないというブギーポップ。 新刻のおなかが鳴ったため、空腹は神経を乱すと宮下籐花が竹田啓司のために造っていたお弁当を差し出す。お弁当の作られた目的を知った新刻は遠慮するが、ブギーポップの藤花も諦めるだろうという言葉に、新刻は、以前ブギーポップの存在を藤花の別の人格ではないかと考え、末真和子に相談を持ち掛けたことを思い出す。 質問された末真の答えは、よく言われている多重人格のほとんどが嘘っぱちの演技であると考えているというものだった。人が秘密を隠す時に演技する際、それが普段と違って見えることを別の人格として扱うこと、しでかしてしまった事を「自分じゃない」と思う願望から、自分の内側のもう一人の人格がやったのだとしたい本人の願望などから、多重人格が世の中で認められている理由ではないかと説明される新刻。数ある症例を証明することができず、末間のいう人の心の多様性を考える新刻。 新刻が藤花が作ったお弁当を食べながら、人の心の多様性を考えていたところ、ブギーポップが口笛を吹き始めた。上手だと褒めると、二人目だと返され、一人目は竹田だと知る。彼女である藤花に、ブギーポップが宿っていることを竹田が知っていると分かった新刻は、竹田はいい迷惑だと思っているのではとブギーポップに問いかけるが、彼はいい人だからとブギーポップは言う。藤花も新刻と同じ理由で竹田を好きになったのではと言われた新刻は、複雑な心持ちになった様子で、ブギーポップ自身は竹田の事をどう思っているのかと質問する。自分は主体が無いと言いつつ、竹田には友達と言ってくれて感謝していると話し、藤花には嫉妬しているのかもしれないと続ける。 突然の振動と何かの鳴き声が聞こえだした時、世界の危機を察したのか、ブギーポップは現場へと移動してしまい、残された新刻はあまりの振動に倒れ、気づくと周りに倒れていた人たちがまた人形に変わってしまい、早乙女正美の姿をした歪曲王が再び現れるのだった。 異変を感じてムーンテンプルの前まで来ていた竹田は、警備が話していた基本設計が消されていて無いこと、会長が残した時限装置なのではという言葉を聞き取り、中にいるのは藤花ではなくブギーポップなのかと考える。その時、建物周辺でも地震ではない振動が生じるのだった。 日が沈む無人駅で、成長した日奈子の姿をした歪曲王と話を続けている道元咲子。咲子の後悔には誰も答えることができないため、日奈子の存在自体が、楽しい思い出までも害にしかならないと歪曲王に見透かされてしまう咲子。歪曲王の言う金という事について、咲子が日奈子と過ごした楽しいと思う思いでの事かと問いかけると、歪曲王は咲子が輝いていると思うものすべてだと答えたのだった。すると突然、咲子の場所にも大きな音が聞こえるが、歪曲王にはゾウラギの事は気にしなくて良いと言われてしまう。 羽原健太郎の考えは、この状況はガスを使って幻覚を見せているというものであり、機密性の高い建物を作っていることから寺月恭一郎が犯人で間違いないと、同行している田中志郎に話す。 羽原と田中は、新刻が出てきたと思われるハッチを見つけ、管理室に行けるかもしれないと、中に入ってみることにした。中には人形があるだけで、ただの倉庫だと結論付けた羽原。田中を呼ぼうと振り返った先で、「アイツ」が入ってきた形跡を探している田中に「アイツ?」と声を掛けるが、はぐらかされてしまう。 ハッチから元の場所に出てきた二人は、今まで周りに倒れていた人たちが一人もいないことに驚く。そこへ、振動と何かの鳴き声が響き、どこかで聞いた鳴き声だと思っていた羽原は、「助けてくれ」というかすかな声がしたと思うと、足元にはバラバラになった人形が散乱しており、思わずしりもちをついてしまう。さらに田中が居ないことに気付き、鳴っている電話を確認すると、繋がらなかった霧間凪からの着信だった。電話に出てみると、凪の弟の谷口正樹の声だったが、話す内容が普段の彼とは違ったため、歪曲王だと気づく羽原。歪曲王は、羽原に「まだ助けを呼ばれては困る」「実験はまだ途中なのだから」と一方的に話しかけるのだった。 ムーンテンプルの外でも、突然の振動と地面の陥没の現象が現れ、これが世界の危機なのかと考えた竹田は、ブギーポップと藤花が心配になり、ムーンテンプルへと走り出すのだった。 幼少期から、夢の中でゾウナギを見ていた橋坂真。羽原とゾウナギから逃げるためにムーンテンプルに戻り、疲れて走れなくなったため、羽原にそこにいるようにと言われてからもずっと羽原を待っていた様子だが、とうとうゾウナギが壁を壊してきたため、身の危険を感じる。そこへ現れたブギーポップに助けを求めるが、ブギーポップにはゾウナギが見えていなかった。しかし壁を破壊する物理的な破壊性を確認したブギーポップは、対処することを決めた様で、怪獣退治はやったことが無いと独り言のように言うのだった。 再び早乙女の姿をした歪曲王に出会い、新刻はこの状態が幻覚などではなく自分の内部だと言い切り、歪曲王の正体は、末間が言っていた人の心の多様性が生んだ、自分の中にあるもう一人の誰かの姿を借り、目の前に出てきた侵入者であるのだと語る。さらに時折感じる振動は、同じく引き出された誰かの力であり、暴走したそれは歪曲王自身も脅かしていると結論づける。 新刻の話を聞き終えた歪曲王は、振動を起こしている存在がゾウラギと呼ばれること。大きくなりすぎて本体から独立した存在になりつつあること、さらにはこの建物などは本気なれば粉々にできるであろうことを説明する。その答えを聞いて、新刻は歪曲王が行っていることをやめれば、ゾウラギも無くなるのだからすぐにやめるように叫ぶが、歪曲王はそれでも、新刻の中に残るこの早乙女正美という人格を生んだ理由と向き合うことを強要するのだった。 ムーンテンプルに何度か体当たりするゾウラギ。そうしている間にブギーポップは波長が合い始め、ゾウラギが見えるようになる。戦うしかなさそうだからと、ゾウラギの攻撃を真を抱えながらかわし、頂上を目指すブギーポップ。首を伸ばして真達を食べようとしていたゾウラギも、建物ごと壊してしまおうとエネルギーを溜め始める。頂上付近の壁に穴をあけて、その様子を見ていたブギーポップは、ゾウラギの攻撃を受けて倒れるムーンテンプルから、真を抱えたまま飛び降り、ゾウラギの首に糸を括り付けて切り落としながら着地して見せる。倒したゾウラギの姿を真に見せ、「知恵と勇気があれば、この世にできない事などない」と言ってのけるブギーポップ。真はその様子に大声で笑い、そのまま意識を手放すのだった。 少し涙を流しながら眠る真を支え、信じてもらうのに手間取ったと言うブギーポップは、今度はゾウラギに、君のための出口はふさがってしまったから、もはや真を踏みつぶしてもここから出ることはできないと話しかけ、ゾウラギも灰色の怪獣の部分が足を動かし、どこかへと去っていくのだった。 現実に戻り、母の横で眠る真を眺めるブギーポップだが、左こめかみ辺りに血が流れ落ちてきたことに気付く。藤花の身体を傷つけてしまった事を、竹田に怒られるだろうかと思ったその時、建物が大きく振動する。ゾウラギの力場が漏れ出していたことを知ったブギーポップは、このムーンテンプルも長くは持たないと考えるのだった。 ここから感想 新刻や羽原が歪曲王の存在を定義づけようと、自分の内側にいるとか、記憶だとか言っている中、道元咲子が自分の後悔と話をして、真の不安や不満の象徴だったゾウラギは、本人を踏みつぶす寸前だったという事かな。 ゾウラギの件は、たぶん真の思っている「父さんがいない」ことへの不満だとかの象徴として成長し続けて、もうちょっとで本当の人格として表に出てこれるレベルになりそうだったのかな?これをグレるとか、反抗期的なもの程度にしか想像ができないけれど、去っていくゾウラギに対して「(ここから出てくるのは)君を確信してくれる存在が生まれるまで」と言っているから、もしかするとあの怪獣そのものの誕生を意味していたのだろうか。新刻が考える人格の説を考えると、内面的なものをどうやってイメージのまま現実に持ち出すのか分からないや。やっぱりグレる程度にしか想像ができない。だから、出口の閉じ方は真にやればなんだってできるとプラス思考を信じてもらう事だったと考えたが、どこでブギーさんがそれを突き止めたかも謎だ…。 そして、田中君が歪曲王に絡まれているところが表現されていない。マンティコア事件で一番納得ができずに後悔が残りそうなのは田中君ではないかと思っているのだが、案外遺体も残らなかった紙木城の事は、彼なりの死生観で考えて納得しているのだろうか。なら新刻のあの絡まれようは一体何だろう?と、対比させるのが目的なのだろうか…意図が汲み取れているのかどうなのかさっぱりわからん。 にほんブログ村 アニメブログへ
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