はちよりうえ

見たアニメについて感想などをメモる。※ネタばれあり

フルーツバスケット 第17話「うおちゃんの分ですっ!」感想

 

ありさ父の「見つかっちゃったよ」発言は、確か原作ではコマの一つだったはずなんだけどな、アニメ二作目で8話と17話で使うなんて、よっぽど今度の作り手さん方のツボにはまったんだね。できれば二回目は違うセリフにしてほしかったけど。

 

今週の内容

ありさの透と今日子との思い出話は続く。憧れの赤い蝶だった今日子に出会い、本田家に上がり、その生活感あふれる姿に幻滅して帰った後のある日、高校生に絡まれて追いかけられていたありさを、偶然ぶつかることで再会した透は、手を引いて自分の家まで連れていく。

透の行動にあっけに取られていたありさだったが、リンチで受けた傷の手当てのために部屋の隅に座り、仏壇や夕食の支度をする透の姿を見て、ぶつかったときに落ちた豆腐は夕食用だったのではなどと思考が回るようになる。

透が出す調理の音以外には、開けた窓から入る外の音だけだったため、思わずテレビをつけたありさは考え、夕食を食べて行かないかと誘いに来た透に、自分の持っていない和やかな家族や家の雰囲気に、取り残されている気がして居心地が悪く感じていたのだとつぶやく。そしてありさは、そんな和やかな居場所を得ようと行動したり、反発して台無しにしてきた自分を恥じ悔いる。透はそんなありさに寄り添って、彼女の肩に自分の頭をのせ、ありさもまた自分の感じていた気持ちを寂しかったのだと結論を付け、透と寄り添うようにして眠ってしまうのだった。

と、ここまでを話したありさだったが、聞いていた由希が透の母・今日子との話を促してきたため、今まで話していたのは透との思い出だと気づくのだった。今日子との思い出話は気恥ずかしいと思い直し、話すのを辞めようかと考えたありさは、ちょうど良く絡んできた中坊の不良三人娘を無視して、食べ終えたから店を出ようと話を切り上げる。

不良三人娘は、格好よく声を掛けたつもりでいたが不発に終わったため、店内で「もっと早く話しかければ良かった」と言い合いを始める。その間に透達は店を出てしまい、結局

不良娘たちはありさの名を呼びながら後を付いて行くことになるのだった。

不良三人娘たちの、恐怖の不良集団発言などを聞き流しつつ、ありさは自分も昔はああだったなと、今日子との思い出となるエピソードを思い出すのだった。

本田家へちょくちょく顔を出すようになったありさは、感じていた疎外感もなくなり、本田家を居心地が良い場所だと感じるようになっていく。さらに中学に通う様になり、透に問題を出して勉強をするなど、学生らしい生活を送り始める。しかし透と話しているだけで通りがかった教師に咎められる等、周囲からは友人同士とはみられていない事も、承知していたのだった。

同じ頃、出入りしていたレディースの集会にも顔を出さなくなったありさに、メンバーから制裁の必要性があると話が上がり、ありさの事を面倒見ていた秋元は、話が良くない方向に流れていると顔を曇らせていた。

ありさも、自分と良く一緒にいる透が、他の生徒から「実は不良なのでは」と陰口を言われていることに気付き、自分は透の傍にいない方が良いのではとまで考えてしまう。しかしその思考は、透がありさの分のカップケーキを作っていると発言したのを聞いて、幸せな気分に浸ることで、別の考えに変わるのだった。

レディースの呼び出しに応じ、透と一緒にいるために変わるため、族抜けを志願したありさは制裁を受けることになる。話が決まった時、集団の中にいた秋元は静かにその場を離れていく。

ありさが倒れて立ち上がれなくなった頃、リンチを止める声が上がり、ありさは声の主の今日子が来たその姿を見て気絶してしまうのだった。

ありさが気づいた時には、今日子に負ぶわれていた。今日子は秋元が助けを求めてきたことを話し、ありさは迷惑を掛けないと自分がしていた愚かさが理解できないと泣き始める。今日子はそのままの状態で話を進め、きれいなものに反発したこと等も、全て自分の肥やしにして、無駄な事にしないのが自分の考えだと話し、それを聞いたありさは、透が自慢できる親友になりたいから、変わりたいと思ったのだと打ち明けていたのだった。

思い返しても恥ずかしいと、思い出に浸っていたありさだが、とうとう咲がありさ目当てで付きまとってきた中学生の不良三人娘を相手にしそうになっていたため、口を出す事にする。しかしやはりありさをシメに来たと公言していた不良娘のイシちゃんは、ありさが自分の発言に突っ込んだことをきっかけに、とうとうパンチを繰り出してきた。しかしそれも彼女の頭を手で押さえ、リーチの差で攻撃を退けるありさ

攻撃が相手に届かない、しかもそれが体格差とあって、イシちゃんはジタバタと悔しがるが、ありさはそんな彼女たちに、叱ってほしいならいつでもおいでと、彼女たちの気持ちを受け止め、言うだけ言うと解散だとばかりに去っていく。

自分を見てくれたことに、イシちゃんはありさを姐さんと呼び憧れのまなざしで見つめるのだった。

海原駅で透と分かれるありさと咲、ありさは夾と由希と共に去っていく透を見ながら、今日子が話したすべてを無駄にせず、自分の肥やしにしていく心意気を噛みしめるのだった。

その日の夜、ありさは食事を作り、禁酒している父親がビール缶を空けた音に気付き注意し、ごまかす父親とのいつものやり取りを行っているのだった。

また別の日、ありさにあこがれを抱いた不良三人娘は、それぞれにありさを尊ぶために特攻服を作ったり、彼女の言葉を噛みしめていたりしたが、イシちゃんだけは当時のありさの服装やかつらまで被ってありさになり切ろうとしており、もはや憧れの表現方法が別次元にまで至ってしまっていた。

 

ここから感想

やはりあれだね。関係ないと思うかもしれないけど、家族、特に親との関係とかを大事にしたいと表現するのであれば、第5話の透の伯母の事も、都合よく半パートで進めずに、せめて一話かけて表現すればよかったとつくづく思う。あの人も透には単なる伯母であっても二人の子供の母だからね。しかも親戚の子である透も面倒見ようとしていた人だから、「嫌な人」という理由だけで彼女のテリトリーから離れてそれでおしまいというのも、原作からして安直かつ乱暴な展開だったよね。

作品上、今日子が親の鏡としての存在だと位置付けるなら、ありさの父親もグレた娘にも食事を作る普通の親である位置づけなのだろう。なら透の伯母は、親としての見せ場は息子が警察官を目指すからという興信所騒ぎだけで終わらせるにしては、透への影響が大きい立場では無いかなと思う。出番の少なさの割に、透を引き取ると決めたその決意などは、透と年の近い娘と就職に向けて大事な時期の息子を抱えた親としては大きいものだったと思うのだが、それを単に話の流れの都合で、嫌な人扱いで終わらせたのは、本当に描きたい関係だけを描いていたんだなと気づかされる。

どうも時代に合わないヤンキー像や、リメイクしても携帯電話が画面上に出ない事。さらに手直しすれば作品の言いたい部分の補てんが見込める部分を、一切無視して作っていることにだいぶ諦めがついてきた。やはり原作が終了したからと言って、リメイクすべきでは無かったよね。

 

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